故人様が最後に乗られるお車が霊柩車です。霊柩車と聞いて、黒くて長い車両に金色の飾りが付いた、豪華な霊柩車を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
今回は、さまざまな形式がある霊柩車の歴史や、費用について詳しく解説します。

霊柩車の費用とナンバーの色

ご遺体を運ぶ霊柩車は、単に葬儀会社が所有している車両ではなく、国土交通大臣から許可を受けて運行しています。
ここでは、霊柩車を利用するときの費用や、霊柩車のナンバーの色について解説します。

霊柩車の費用を決めるのは走行距離

霊柩車の費用は、法律に基づき国土交通大臣に届け出て適性と認められた料金が適用されています。そのため、霊柩車費用を無料にしたり、割引したりすることは違法行為に該当します。
霊柩車の形式によって違いますが、費用の目安として10Kmの利用で1万5,000円〜5万円が相場価格です。
有料道路やフェリーなどを利用した際は、実費が加算されます。
ライフサポートでは霊柩車の基本料金が葬儀プランに含まれています。

霊柩車のナンバーは緑色

ご遺体を運ぶ霊柩車は、国土交通省による貨物自動車運送事業法に則り一般貨物自動車運送事業として業務しています。
また、霊柩車は棺を乗せるための装置や部品を取り付けた特種用途自動車です。
そのため霊柩車のナンバープレートは白ではなく緑色で、8ナンバーです。
ご遺体は旅客ではないため霊柩車の運転に第二種運転免許は必要とされず、第一種普通運転免許で運転できます。

中古の霊柩車も販売している

霊柩車はご遺体を運ぶことに特化した特殊な車両で一般には売られていないと思いがちですが、中古車両も販売されています。
葬儀会社によっては、自社で霊柩車を持たずに霊柩運送会社へ手配するところもあります。
霊柩運送会社への支払金額をなくすために自社で新規に製作を依頼すると、2,000万円もの費用がかかると言われますが、中古の霊柩車であれば300万円程度で購入可能です。
中古の霊柩車は、一般の個人が買い求めるものではありませんが、自社で霊柩車を持ちたいと考える葬儀社からの需要があります。

霊柩車に関する言い伝え|親指を隠す

霊柩車に関して「霊柩車がいたら親指を隠す」という言い伝えがあります。「親を失うから」や「親を守るため」などが理由とされていますが、なぜこのような言い伝えがあるのでしょうか。
霊柩車が使われるようになる遥か昔の江戸時代に、小山田与清という人が当時の雑学をまとめた松屋筆記で「親指の爪の間から霊や魂が出入りする」と書いています。
人々は亡くなったばかりで成仏していない霊が親指の爪の間から入らないように、葬列を見たときは親指を隠していました。
やがて親指が親と結びついて「霊柩車がいたら親指を隠す」言い伝えに変化しました。
1984年の原田知世主演映画「愛情物語」で、主人公が霊柩車を見て親指を隠すシーンとして覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

霊柩車の歴史

現代ではご遺体を運ぶために霊柩車を利用することは当たり前です。その起源は1840年代のスコットランドです。
当時は自動車が発明される以前のため霊柩馬車でしたが、時代を経て自動車を利用する霊柩車として利用されています。
ここからは、日本における霊柩車の歴史をご紹介します。

明治から大正のモダニズム化の結果生まれた

明治時代までの日本では、人が亡くなると輿に載せて人力で担ぎ、葬列を組んで棺を運びました。やがて、ご遺体を人力で運ぶのではなく、米俵を運ぶために使用する大八車を利用するようになります。その様子は、棺を花で飾りにぎやかしの芸人を引き連れて、大名行列のように華やかでした。
明治31年には日本へ自動車が持ち込まれ、大隈重信の国民葬では屋根型装飾付きの棺をトラック荷台へ載せて運ぶ写真が残されています。
明治時代の終わり頃には、都市部の人口増加に伴うさまざまな理由で、豪華な葬列は催されなくなりました。
大正時代になり、自動車で棺を運び経費節減と効率化を目指すモダニズム化のために霊柩車が生まれました。

初期は洋風の車から宮型へと転換していった

大正時代にはアメリカから霊柩車を輸入しましたが、西洋の霊柩車は後ろに棺を納める箱形で飾りのないものでした。
このようにシンプルな箱型だった霊柩車ですが、日本では人が亡くなったあと棺を輿に乗せて運ぶ習慣があったため、輿を由来とした宮型へと進化しました。
宮型霊柩車は、関東地方では豪華な飾り付きの漆塗り、関西では白木で飾りの少ない白木型が多いなど地域性があります。

昭和の時代は宮型が主流

もともとはシンプルだった霊柩車ですが、東京都中野区の制作会社米津工房によって金色の装飾を用いた宮型が作られるようになりました。
他社製に比べて金色の派手な装飾をつけた霊柩車は、故人を華やかに見送りたい希望に応えるため大変な人気でした。
昭和末期、日本全国で使用される宮型霊柩車の7割が米津工房製だったと言われています。昭和時代の主流は金色の装飾がついた宮型霊柩車でした。

その後洋型形式の霊柩車が主流に

かつて7割も存在した宮型霊柩車ですが、現在では数を減らしています。
理由としては以下のようなものが挙げられます。

  • 火葬場や葬儀場近辺に住む住民への配慮や、自治体による使用制限
  • 宮型は仏式・神式の葬儀以外に向かない
  • 平成21年国土交通省によって外装突起規制がかけられたため、宮型は新造不可
  • 維持管理費の高騰
  • 葬儀場と火葬場の一体化によって霊柩車が不要

上記のような理由で、現在では宮型霊柩車が減少しており、洋型形式の霊柩車が主流です。

霊柩車の形式には何があるかについて

霊柩車の形式には種類があります。ご希望や宗派、地域事情などで使い分けられています。

  1. 神輿のような飾りの宮型
  2. 最近主流な洋型
  3. バス型
  4. バン型

現在、主に利用されている霊柩車は以上の4種類です。
ここからは、それぞれの形式について解説します。

形式について|①神輿のような飾りの宮型

これまでお伝えしたように、宮型霊柩車とは輿のような飾りがついている霊柩車です。昭和の時代には霊柩車の7割が宮型でした。
1917年、大阪で江戸時代から続く葬儀会社を営む駕友葬祭によって考案されました。明治時代の葬列ブームが終わり、いわば新規事業として立ち上げたものが霊柩車です。
大阪が発祥の地であるため、宮型が主流の頃は関西や大都市部でよく見られました。
日本では見かけることの減っている宮型霊柩車ですが、豪華な装飾を日本的だと捉える海外コレクターや、走る寺院として歓迎するモンゴルの仏教関係者などによって、中古車を購入して海外へ輸出する事例があります。

形式について|②最近主流なのは洋型

近年では主流となっているものが、洋型霊柩車です。宮型霊柩車のような輿はなく、シンプルな見た目のために見かけても霊柩車だと気が付かないこともあります。
日本人の価値観の変化によって宮型霊柩車から洋型霊柩車へ、主流となる形式が変化しました。
宮型霊柩車では座席の都合によって同乗可能な遺族は1名のみですが、洋型霊柩車では複数名がご遺体と共に移動できます。車種によっては4名以上の乗車が可能です。
霊柩車といえば黒色を想像しがちですが、ピンク色や紫色の霊柩車も登場しています。

形式について|③バス型

バス型霊柩車は豪雪地帯の北海道や東北などで利用されています。棺を納めてご遺体を運びながら、遺族や参列者も一緒に移動できることが特徴です。
葬儀の参列者が車列を組んで雪道を移動する負担がないため、北海道では主流です。
かつて、バス型ではなく霊柩列車があり、大正4年から昭和10年にかけて愛知県で運行されて、棺と会葬者を運んでいました。東京都と大阪府でも霊柩列車を走らせる計画でしたが、都市化と自動車の普及によって幻で終わりました。

形式について|④バン型

バン型霊柩車は、ステーションワゴンやミニバンをベースにした霊柩車です。
ベース車両の特徴から改造コストが抑えられ、使い勝手の良さから普及しています。
病院からご自宅、あるいは葬儀場までお運びする車両は寝台車と呼び、火葬場までお運びする霊柩車とは別のものです。
バン型霊柩車はシンプルな見た目で目立たないため、寝台車として使用されることもあります。
近年はシンプルな見た目の霊柩車が増えたため一般車と区別はつきにくいですが、霊柩車はドア下部に「霊柩限定」あるいは「霊柩」と記されています。

まとめ

福岡県福岡市内で葬儀をする場合は、ぜひライフサポートにお任せください。
ライフサポートは福岡県に多数の斎場を構えており、一般葬はもちろん、家族葬や一日葬にも対応しておりますので、ご遺族や故人様が望む葬儀を実現いたします。
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